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story今月のお話

Tomomori of the Heiké 平 知盛

2024年3月の紹介

Tomomori of the Heiké

平 知盛

「日本は僅か六十六ヵ国に分かれているうち、平家は三十余ヵ国を,つまりほとんど日本国の半分以上を支配している。」
“When all Japan was divided up into only sixty-six provinces, the Heiké ruled over thirty provinces or more than half the country.”
と、『平家物語』は平家の勢いの盛んなことを語っている。
Thus speaks The Tale of the Heiké, in describing how the power of the Heiké family thrived.
「そのほか荘園、田畑は数知れず、
“Besides this the number of their manors and rice paddies and vegetable farms was countless.
平家の屋敷には美しい衣装をまとった人々が集まり、
Within the Heiké mansions gathered many people dressed in beautiful clothes
御殿の中は花が咲いたよう。
so that inside their palace it was as if flowers were blooming.
門の前には馬や車がむらがり、
Outside the gates was a great throng of horses and ox-carts
中国から来た金や珠やいろいろの布、財宝、遊びの道具があつめられ、
and they had brought together from China gold and jewels and many kinds of cloth and all kinds of treasure and equipment for playing all sorts of games
その盛んなこと、宮中もこれには及ばない。」
so that not even the palace of the Emperor could compare.”

 平家の棟梁,清盛の長男重盛が亡くなると全国で反平家の声が上がり,各地で平家打倒の挙兵が起こった。やがて清盛も病で亡くなると,源氏の猛攻に次男宗盛は「都を逃れる」という決定をする。31歳だった三男知盛は反対したが,大勢に従って都を逃れて西へ向かうことになる。しかし九州にたどりつくも,反平家の武士団に追いやられ四国屋久島に流れ着くことに。そこで瀬戸内海沿岸の国々を味方につけた平家は,態勢を立て直して神戸へ向かい一の谷に城を構えた。しかしその拠点も,源頼朝の弟で戦の天才,源義経軍の猛攻にあい,陥落してしまう。この戦いで知盛は自分を守るために敵に組み付いた息子・知章と弓の名人・監物太郎を見殺しにし,兄の舟へと逃げ帰ったのだった。知盛は人間のどうしようもない弱さを感じ,だれに頼ることなく自分の力を振り絞り,武人と政治家の役割を果たすことを心に誓ったのだった。

 「平家物語」を題材として劇作家・木下順二氏が描いた『子午線の祀り』を,ラボ・ライブラリーとして木下氏が書き下ろしたのがこの『平 知盛』です。平家一門が都を捨てて,壇ノ浦に散るまでのわずか8年間の,知盛を中心とする人間模様が描かれています。「平家物語」は古代から中世への転換期を描いた軍記物語です。宮廷政治に武家が台頭してきて,武家社会へと転換していく時期,各地の豪族たちは自分たちはこれからどう生きていくかと考えながら,平家と源氏との戦いに参加していました。

 最後の決戦の地となった壇ノ浦では,潮の流れが一日に何度も東へ西へと走ります。有利だった流れにも勝機をつかむことができなかった平家。最後にはそのような平家をみかぎった豪族たちが源氏に寝返り,多くの者が平家を離れていきました。そのありさまに知盛は,人間の力ではどうしようもできない自然の流れ,歴史の流れを感じたのでしょう。最後は「見るほどの事は見つ」ということばを残し,海に入っていったのでした。

 知盛は弱将である兄に代わって,平家一門を従えるリーダーとしての役割を果たそうとしました。知盛は平家の一門の運命を予感し,「だめだろう」と悟りながら,だからこそ全力を尽くそうと生きた知盛。人間は自然や歴史の流れに抗うことはできません。いったい「生きる」ということはどういくことなのか。知盛の生きざまを,じっくり味わってほしい作品です。