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GAUCHE THE CELLIST セロ弾きのゴーシュ

2022年11月の紹介

GAUCHE THE CELLIST

セロ弾きのゴーシュ

It was Gauche's job to play the cello at the cinema in town.
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。
One afternoon all the musicians were sitting in a circle
ひるすぎ,みんなは楽屋に円くならんで
rehearsing the Sixth Symphony for the town's upcoming concert.
今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。
The trumpets are going full blast.
トランペットは一生けん命歌っています。
The violins are singing out in breezy harmony.
ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。
Tha clarinets toot away, backing them up.
クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。
And Gauche, with lips pursed tight and eyes like saucers, stares at his notes,
ゴーシュも口をりんと結んで眼を皿のようにして楽譜を見つめながら,
playing as if his life depended on it.
もう,一心に弾いています。

 一生けん命なゴーシュですが,楽団の足をひっぱり,楽長にはさんざんに怒られます。家に帰って練習に励んでいると,毎晩のように動物がゴーシュを訪ねてやってきます。猫,かっこう,狸の子,野ねずみの親子がやってきて,ゴーシュに演奏してほしいとお願いします。ゴーシュは動物がやってくるたびに怒ったり,不満をぶつけたりしながら練習するのでした。そのような夜が続いた後,音楽会が開かれ,第六交響曲は大成功。演奏後,観客からなにかもうひとつとリクエストされ,楽団の勧めもあってゴーシュは猫がやって来たときに弾いた「印度(インド)の虎狩」を演奏し,大絶賛されるのでした。

 さんざん疲れているゴーシュのもとに,四夜続けて,少しかわった動物がやってきます。最初は自己中心的だったゴーシュですが,だんだんと相手を思いやるように変化していきます。そのような変化が影響したのでしょうか,ゴーシュの演奏は変化していきます。「印度の虎狩」を演奏した後には,楽長が「みんなかなり本気になって聞いていたぞ」と誉めてくれたのでした。けれども作者・宮澤賢治の文章には,「ゴーシュは演奏がよくなった」とはっきりとは書かれていません。

 生前に刊行された賢治の作品は少なく,多くの作品は没後に発刊されています。遺稿を調べてみると,他の作品と同じようにこの『セロ弾きのゴーシュ』にも,何度も書き直した跡が残っていたそうです。最初のアイディアでは,ゴーシュは見違えるほどよく弾けるようになったというものだったそうですが,それをはっきりとことばにして書いていませんでした。もともとどれくらい下手だったのかという点も書かれていませんが,それを感じさせる書き方が,賢治の作品の魅力ではないでしょうか。

 音楽会で喝采を浴びた夜,ゴーシュはかっこうが飛んで行ったほうを向いて「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」とつぶやきます。このことばは、どういう意味なのでしょうか。未熟だった自分がしてしまった仕打ちを,ゴーシュは後悔したのでしょうか。賢治のことばの一つひとつは,深い意味や広がりをもっています。みなさんはどのように感じられますか。